2024年6月2日、直近で考えなければいけないこと。ともすれば「どうすればいいのか」ということになるのだが。この題材を包括して抽象的な内容で文章にするのではなく、そしてジャンルも絞ることなく、淡々と考えられることや実際に行動に起こしたこと、を綴る記事とする。
本日を境に、発生した出来事を遡っていく形で書き記す。とりあえず今日の内容としては休息の一語だ。その度合いとしては、「確実」な休息、である。頭痛がおさまらず、咳も時折でてくるし、食欲もわかない。起きてから水を一度も飲んでいないことに気付いたのも夕方18時を過ぎてからだった。
まずは1つ目。2日前の5月31日、自身が2023年6月末まで在籍していた東大ベンチャー、ARAV株式会社の代表取締役社長である白久さんと顔を合わせて話してきた。土木や建設現場で稼働している重機の、遠隔操作や自動運転ソリューションを事業としているスタートアップ企業だ。
記事の本筋とは直接の関連性はないが、「東大ベンチャー」という言葉に惹かれてフリーランスとして参画し、その後、正社員となった。その辺りの心境を含めたプロセスは、今後自身のアウトプットとして別の媒体で公表するかもしれないと前置きしつつ、話を本題に戻そうと思う。
顔を合わせた理由は、自身の現状及び自身を取り巻く環境の現状の共有と、北相木森水舎が抱えている(という表現は誤りかもしれないが)SBIRについての相談をするため。大きく分類すればこの2点だ。約2週間ぶりの短期間での再会、前回は5月14日に会った。
話の内容さらには詳細は書かず、結論だけを記載する。SBIRには協力できない。白久さん個人宅の住所を北相木森水舎の社長である野本さんに教えることも不可である。そして付随として、現状に対し自身(筆者)は今後どうすればいいのか、という旨を経営者という目線での助言もいただいた。
上記結論に至っているということは、その結論に辿り着く過程もあったということだが、この過程のために自身が行動した理由をものすごくざっくりと記載するとなれば、それは「北相木森水舎の社長からの要望」があり、その要望を叶えるために動けるのが自身だったから、となる。
そして改めて過程に目を向ける。ここで言う過程とは、5月15日に起こった出来事をはじめ、会った当日までの流れを約1h程で共有したことを指すわけだが、そりゃあ当然、先の結論となるよね、という回答を得られて安堵した自分が間違いなくいたということを、ここに記載しておくことにする。
2つ目は、弁護士への相談と確認。その概要としては北相木森水舎の現状と今後について、だ。こちらも文章にすればざっくりとはしているが、その質としてはある程度初回の1回目約1hで前進したと認識できる事柄があった。同社取締役COOの多田さんも参席していたが、大枠は同様の認識であろう。
相談した日時としては5月31日。先方事務所には取締役COOの多田さんが足を運んでくれ、こちらは東京の自宅からオンラインで相談の場に参加した。弁護士の方と、恐らくそのアシスタント的な立ち位置となる方の、計2名にご対応いただいた。
今回相談したこちらの弁護士は、北相木森水舎の社長の妻、の母親である人物から紹介された長野県の弁護士事務所の方である。この母親に対し、筆者はかなりの嫌悪感を抱いている。これまで周囲の人物から話を聞いていたり、少しではあるが対面して会話をしたこともあった。
3つ目と複合する形で記載する。今回、改めてこの母親とある程度の時間を接することになったのだが、人間性という言葉にすればありきたりだが関係を構築するにあたって必須とも言える要素が、あまりにも遠く離れており、お互いが分かり合える範囲内にはいないことを把握する機会ともなり得た。
この母親を如何にいなすのか、ということも、今後頭の中で全体進行の一部に組み込まなければいけない。可愛いと思える程度の粗悪な行為であれば受け流すこともできるであろうが、過度に入り込んできては悪意を垂れ流しにするため、厄介極まりない存在だと第6感が囁いている。
この母親と、その結婚相手である夫との間に生まれた娘との、結婚相手として婿入りしたのが北相木森水舎(野本商店)の社長である。後継人となるであろう人物の現状やこの事態を、把握しているのかしていないのかはわからないが、母親の目と頬と口元には笑みがはっきりと見てとれる。
邪悪、という言葉が合っているような人物だ。田舎の小さい小さい酒屋と言えども、明治から続く老舗を少なくとも私の代は守り抜いたのよ、という自信と、地域性があったからこそ偶然且つ結果的について回ってきた成果というものは、人をあんなにも傲慢にするものなのか。
4つ目は5月29日の社長からの手紙とする。書いている内容は概ね理解はできた。だからこそこの記事の1つ目である要素を起こすべく動いたのだ。手紙に書いている内容だけではなく、以前から口頭で話したことがあったり、あるいはそのための打ち合わせをしたこともあるのだから。
しかし納得はしていない。できない。手紙の差出人である今回の出来事を起こした張本人は、まるで今回のことや現状、そしてこれからのことを全くと言っていいほど正常に判断できていない。恐ろしいくらいに、何が根本的で、何が本質なのかを理解していない。
手紙には、心も頭も正常に戻っている旨の記述がある。小さいメモ帳になんとも読みにくく汚い字を手書きで書いているものだから、余計に怒りがこみ上げてくる。本人曰く、連休前の状態に戻っているとのことだが、連休前であれば正常であったかのように本人は捉えているのだろうか。
これにも大きな憤りを感じる。宗教から来る部分を爆発的に噴出し始めたのは連休後からではあるが、そうではない部分はそもそも連休前から、もとい知り合った頃から常に出していたではないか。許容できる部分とそうではない部分もあったが、それも人、として受け入れていた。
今回、到底受け入れるわけにはいかない醜悪な部分を隠すことなく見せてきた。その対象は自身だけではなく、他の人をも巻き込んで。どこかで実感していたことだが、ようやく感覚が実感を帯びてくるほどに、腑に落ちそうであることも覚え始めた。
どうして自身はこんなにも、怒りにも似た感情を抱いているのか。言い換えれば許すことはできない、という感情だ。その答えは、他の人をも巻き込んだから、だ。自身以外の人に、恐怖を植え付けたことが、自身の中ではどうにも許すことができない事象となっているのだ。
なぜだろう。力が湧いてきた気がする。前進するための力ではなく、あいつに相対するための力だ。まずはこれでいい。ここからでいい。この力がどれだけの、何を生み出すのかはわからないが、今はこうした事象が必要ではないのか。この力を悪い方向に使わないことを、自分がなによりも知っている。
5つ目は自社の行く末とでも表現すればいいだろうか。自社という言葉の中には、従業員、取締役、ただいま入院中の社長、そして自分も含め、あとは会社そのものの法人格が包括されている。あとは、こうした人たちの収入ありきで生活が成り立っている人たちだろうか。
先に書いておくと、こうした人たちの行く末を明るいものにするには、という文脈で何か考察なり行動なりを実施したわけではない。こうしたことを全く考えていないわけではないが、そうしたことまで構想を膨らませる余力というか、そちら側に費やすことができるエネルギーはない。
今この瞬間、会社をどうすべきか。会社はどうすべきか、と言い換えることもできるかもしれない。今後先のことを考えなければいけない。先というのは中長期的な時間を経ての先なのか。それとも極短期的な、もう目の前にまで差し迫っているほどの、目と鼻の先レベルなのか。
どちらも見据えることができればいいなとは思うが、いみじくも現状では後者の、極短期的な先を見据えなければいけないだろう、と踏んでいる。具体的には、会社を存続させるには。あるいは、存続することはできるのか。そもそも存続し得るのか…。
そうしたことを、所謂経営層にあたる知人の皆さんと話す中や、ネット上における関連性が見つけられる記事、あるいは自社の置かれた様々な現状等から導いては思い考える。このブログもそうして行き着いたひとつの結果だ。文章にしてみる、というのは大切ななにかを引き寄せられる気がする。
今日の綴りはこのくらいにしようか。ブログ開設2日目にして、気付きというか、芽生えた感情があったことは思わぬ収穫である。考えるよりも行動する、ということが有用である場合もあるということを、体現するよい機会となっている。挫けない。陥らない。欺きもしない。
